気配り・・・

2001年9月7日
先日、子供たちに「気配り」の大事さを説教する機会があった。

世の中で生活していく以上、全く孤独で生きていくには無理がある。どんな社会にせよ、自分以外の人間がいるわけで、そんな環境の中で基本となるのが「気配り」だと思う。

気配りというのは、自分以外の人間に対して「気」を「配る」ということだが、この「気」というのはいろいろと広い意味を持つように思う。

「気」を「配る」ためには、まず、自分以外の人を意識していなければ、始まらないという大前提がある。
しかし、結構、自分以外の人(知人や友人に限定せず、見知らぬ人全てに対して)を常に意識するということがどれ程出来ているだろうか?出来ていない人が多いように思うのだが・・・。

例えば、通勤時にいつも思うのだが、大阪市内の地下鉄に乗って、座席に座っている人を見て腹が立つことが多い。
きちんと腰掛ければ6名が座れるのに、中途半端な座り方で5名、ひどい時は4名しか座れないようなこともある。駅で人が乗ってきても知らぬ顔をして座席を詰めようとしない。
乗ってきた人も中には、「すいません」と言いつつ席を詰めてもらう人もいるが、殆んどの人は心の中では舌打ちしていても、我慢して立っている。
こんな風景は日常的に見る。

結局、このように我が物顔で座っている人は「気配り」のない人と言わざるを得ない。
一体、こんな連中はどんな気持ちで座っているのだろう?
「座席を詰めないといけないな・・・」という気持ちがありながら知らぬ顔をしているのか?或いは、全くそんなことは、意識にすら上っていないのか?

これなどはほんの一例に過ぎない。
このような輩は、自分の家庭で自分以外の家族に対しても気配りが出来ていないのだろう。

家庭というのは社会の縮図だ・・・というのが私の持論だ。
家の中で出来ないことが家の外で出来るとすればおかしい。
だから、家の中で「気配り」を出来る人間にならなければいけない・・・というのが説教の趣旨だった。

さて、偉そうに、そんな説教をしている自分は果たしてきちんと気配りが出来ているだろうか?とふと考えた。
家内に対して、子供たちに対して、それなりにきちんと気を配っているだろうか?
自分が大黒柱だからと、ちょっとふんぞり返って傲慢になっているところがあるのではないか・・・?

真摯に反省してみると、かく言う自分も気配りが完璧に出来ているとはいえない。
勿論、家の中でも社会と同じで、上下関係がある。
しかし、それと気を配るということとは別問題だ。
相手の立場を尊重して、相手の気持ちを考え、相手を理解しようとすることが、気を配る上では必要だ。・・・

ふ〜む、本当に「気配り」というのは大切だが、それをきっちり出来るようになるのは並大抵ではない。

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