震災から7年・・・

2002年1月18日
あの忌まわしい大地震からまる7年が過ぎた。
7年と聞いて、もう7年も経ったのかと思う。

あの時、私達はまだ奈良に住んでいた。
異常な揺れで目が覚めた。家全体が大きく揺れ、天井から吊り下げられた蛍光灯がブランブランと揺れていた。咄嗟に地震だと気が付いて飛び起きた。

横に寝ていた家内も飛び起きて子供達が寝ている二階に駆け上った。
私は布団の上に座り様子をうかがっていた。
揺れは続き、テレビの上の飾り物が何か落ちた。
と同時に、枕元近くに立てかけてあったゴルフバッグを思わず支えていた^_^;

長く揺れたように感じたが、揺れが収まり、私はすぐにテレビをつけた。
テレビでは今の地震を報道していた。次々に各地の震度が出た。神戸市の淡路島近くが震源地と分かり、それも震度6と表示された。

神戸市の垂水区は私の実家があるところだ。
大丈夫だろうか!? とても心配になった。
テレビは次々に地震による被害を報道し始めた。
思った以上の大被害だ。何と、神戸市の長田区では火事が起こっている。
阪神高速道路が倒れてしまっている!

見るほどにその被害の大きさが分かり、尋常ではないことが察せられた。大変なことになった・・・。
仕事にも行けそうにない。電車もストップしている。道路も寸断しているようだ・・・。

電話も通じなくなっていた。公衆電話から一度だけ神戸の実家に通じたが、呼び出し音のみで誰も出ない・・・。不安がどんどんと募ってくる。

火事は次第に延焼し始めた。家屋や大きなビルなども倒壊している。大変なことになってしまった。

・・・・・・
今もこうしてあの時の様子が目に鮮明に浮かんでいる。
幸い、私の実家はたいした被害もなく、家族全員無事だった。

しかし、知人や友人の中には、家が潰れたり、大怪我をしたり、家の中の箪笥や食器棚が倒れたりして、被害を被った人が多かった。

大勢の方が地震で亡くなったり、家屋が潰れたりした。

既にほとんど神戸の町は震災から復興を遂げた。
それでも心の傷跡はいつまでも消えない・・・。

最近、紀伊半島から四国沖にかけての大地震が、これから30年以内にかなりの確率で起こると報じられた。関西地方全域を中心にかなり広範に被害が予想されるという。

天変地異とはとかく恐ろしいものだ。
前兆は科学的にある程度予測されても、それを防ぐ手立てがない・・・。

近い将来、またもやあのような二度と見たくもない地獄絵図が繰り広げられるのだろうか・・・?

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