鉄人・・・
2002年4月30日「鉄人」という言葉は私が小学生の頃、「鉄人28号」という漫画で親しんだ。
確か金田正一という主人公の少年が、リモコンでビビビ・・・と鉄人28号というとても格好のいい強いロボットを操り、悪者や悪のロボットと戦うという内容だった。
子供心に鉄人28号に憧れたものだ。
同じ頃、プロレスで当時、力道山が大活躍していた。祖父や父がプロレスファンで、一緒になってテレビでプロレスを見るのが大好きだった。
力道山は得意の空手チョップで外人レスラーを片っ端からやっつけ、まさに鉄人28号に通じるものがあった。
ところが、そのプロレス界で「鉄人ルーテーズ」というレスラーがやって来るというニュースがあった。話によると、とにかく強く、無敗を誇っているというではないか。写真で見ると、胸板には胸毛がびっしりと生えていて、ちょっとやそっと殴られてもびくともしないようだった。
この鉄人が日本のプロレス界に乗り込んで来るというのだ。当時の私は、「鉄人」という言葉には敏感だったので、「あ〜、これで力道山もやられるだろうな・・・」と恐れたのを覚えている。
いよいよその鉄人ルーテーズがやって来た。
ドキドキしながら中継を見た。
確かに強そうだ。吉村とか豊登とかいうレスラーが日本勢にいたと思う。彼らのパンチを受けても鉄人は倒れずに不敵な笑を浮かべてさえいた・・・。
力道山がついに空手チョップを鉄人の胸に炸裂させた。するとさすがの鉄人も吹っ飛んだ!
「う〜む、空手チョップは凄いんだなぁ!」と感動した。
試合の結果は覚えていないが、その後、鉄人はしばらくの間日本に滞在して、けっこうプロレスで戦っていた。
最初の頃に比べると、ルーテーズも鉄人という割にはやられたりしていたようだった。
そのルーテーズが4月28日に享年86歳で亡くなったと新聞に載っていた。
最盛期には936連勝も記録していたそうだ。
ジャイアント馬場、アントニオ猪木などとも対戦し70歳代までリングに上がっていたという。
やはり彼は「鉄人」だった。が、やはり不死身ではなかった・・・。合掌。
確か金田正一という主人公の少年が、リモコンでビビビ・・・と鉄人28号というとても格好のいい強いロボットを操り、悪者や悪のロボットと戦うという内容だった。
子供心に鉄人28号に憧れたものだ。
同じ頃、プロレスで当時、力道山が大活躍していた。祖父や父がプロレスファンで、一緒になってテレビでプロレスを見るのが大好きだった。
力道山は得意の空手チョップで外人レスラーを片っ端からやっつけ、まさに鉄人28号に通じるものがあった。
ところが、そのプロレス界で「鉄人ルーテーズ」というレスラーがやって来るというニュースがあった。話によると、とにかく強く、無敗を誇っているというではないか。写真で見ると、胸板には胸毛がびっしりと生えていて、ちょっとやそっと殴られてもびくともしないようだった。
この鉄人が日本のプロレス界に乗り込んで来るというのだ。当時の私は、「鉄人」という言葉には敏感だったので、「あ〜、これで力道山もやられるだろうな・・・」と恐れたのを覚えている。
いよいよその鉄人ルーテーズがやって来た。
ドキドキしながら中継を見た。
確かに強そうだ。吉村とか豊登とかいうレスラーが日本勢にいたと思う。彼らのパンチを受けても鉄人は倒れずに不敵な笑を浮かべてさえいた・・・。
力道山がついに空手チョップを鉄人の胸に炸裂させた。するとさすがの鉄人も吹っ飛んだ!
「う〜む、空手チョップは凄いんだなぁ!」と感動した。
試合の結果は覚えていないが、その後、鉄人はしばらくの間日本に滞在して、けっこうプロレスで戦っていた。
最初の頃に比べると、ルーテーズも鉄人という割にはやられたりしていたようだった。
そのルーテーズが4月28日に享年86歳で亡くなったと新聞に載っていた。
最盛期には936連勝も記録していたそうだ。
ジャイアント馬場、アントニオ猪木などとも対戦し70歳代までリングに上がっていたという。
やはり彼は「鉄人」だった。が、やはり不死身ではなかった・・・。合掌。
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