練習場にて・・・

2003年11月6日
ゴルフの上達には練習が欠かせない。ゴルフには「これで極めた!」という終点がない。クラブを振れる限り、ボールを打てる限り、終わりはない・・・。

実戦ラウンドの回数が多いのは確かに少ないよりは有利。いろいろなトラブルに見舞われた時、そこからのリカバリーは経験が多いほどいい。実際の芝、そして微妙なアンジュレーションからボールを打つことは、練習場の平らなマットの上からボールを打つよりは難しい。

しかし、だからと言って、練習場の練習が無意味にはならない。

「練習場はスウィングを作るところ。ゴルフ場はスコアを作るところ。」

これは今朝、家内とゴルフ談義していた時に、私が何気にもらした言葉である。言った後から、家内と二人で「うーん、これは名言だ」と自画自賛。

練習場で練習する目的は何か?
単に、ボールをナイスショットするだけの練習では進歩がない。
ゴルフははじめにスウィングありき。そしていいスウィングならいいボールが打てるはず。

しかし、逆にいいボールは、悪いスウィングでもまぐれで出るから厄介だ。つまり、結果(いいボール)だけを見て、「これでOK!」と勘違いする危険があることを忘れがちになる。

例えば、10球ボールを打ち、8割以上のナイスショット(自分の思う通りのボール)が打てなければ、スウィングに問題ありと考えていいだろう。

ボールをクラブで打つ以上は、必ずスピンがかかる。バックスピンはともかく、問題はサイドスピンである。サイドスピンによって、ボールは曲がる。もちろん、打ち出しでフェースがスクエアでなければ、右や左にボールは飛び出す。

インパクトの瞬間に、フェースがどのように入って来るかでボールの行方は決まってしまう。

きれいなストレートのボールを打つことが如何に難しいか・・・。

ゴルファーはみんなそこそこゴルフをしていれば、自分の「持ち球」が決まってくる。
私の持ち球はドローボールである。やや右に出て、左に戻るボールだ。経験上、そのドローの程度を把握しているため、曲がるボールでも狙えるわけである。しかし、いつもその曲がりが一定しないところがゴルフの難しいところ。

実際のラウンドでは、その日のスウィングによって、微妙に曲がりの程度に差があったり、クラブで差が出たりする。出来るだけ一定の曲がり方で攻めなければスコアメークも出来なくなる。ラウンド中にプレーしながら、微調整することになる。

練習場では、その持ち球の曲がり方を一定にするように練習することになる。曲がりの度合いは、結局はスウィングによって変わることを知る。大きな曲がりよりは少ない曲がりの方がボールコントロールしやすいのは明白だ。
スウィングを微調整することで、意図するボールが打てるようになっても、実戦の場で、再現性があるとは限らない。だから、ゴルフは難しい。

そこで、練習場で練習するときに発想の転換が必要となる。練習場ではどんなミスショットをしても構わない。好きなだけ納得の行くだけ、体力のある限りボールが打てる。

練習場でボールを打つ時に、実戦ラウンドを想定してボールを打つのもいい練習だ。1球1球を丁寧に真剣に打つ練習も必要である。

しかし、それだけの練習では不足だ。練習場だからこそ出来る練習の仕方がある。

自分の持ち球と反対のボールを打つ練習である。

私の場合は持ち球がドロー。だから、フェードボールを打つ練習をするのだ。
どうすればフェードが打てるかを考えながら打つ。究極は、同じアドレスからドローもフェードも打てるように練習するのだ。
アドレスが同じなら、スウィングプレーンを変えなければそんな風には決して打てない。

クラブを振る軌道を考えるとスウィングを考えざるを得なくなる。
全く正反対の球質のボールを打ち分けることが出来れば、曲がりをコントロールする技術は格段に進歩すると思う。

こんな練習をしているとボールの行方はバラバラだ。コースではとても使えない。
しかし、辛抱して練習しているうちに、この練習方法はきっと役に立ちそうな気がする。
何よりも、スウィングを考えるために、ボールの捕まりがよくなる。
自分の持ち球のコントロールにも有用だし、実戦でフェードあるいはスライスボールで攻めたい時にも使えるかもしれない。

練習には創意工夫が必要だ。
練習場ではスコアは関係ない。人にナイスショットを見せびらかす必要もなければ、度肝を抜く飛距離を誇示する意味もない。

「練習場はスウィングを作るところ。ゴルフ場はスコアを作るところ。」の所以である。

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